mixi記事感想とか累積

「累積しない」という記述は、複数回使っても2回目以降の(「累積」にあたる)効果がないと思う僕。
イナガキ・ロワイヤルを2本飲んでも1本目のバックファイアしか受けないようなイメージ。
#小心者だなぁ、我ながら。

mixi記事感想とかケルベロスのいる日常

 
は、なかったよな…(何
 
大団円を迎えた地獄の魔犬
 

 
 まともに全部読んでないんで(おおむね中盤のほぼ全部をすっ飛ばした)すが、そういう読み方でも許容されるようなワールドみたいなものがあって個人的には楽しく、面白おかしく読むことができましたな。
 亜種というか、ワールドが派生して他の人が書いた短編シリーズなんかも全部読んでないので、すこしワールドの大切な部分のいくつかを自分で切った気もしないではないですが、そうやってライトに読める「魔犬」の懐の深さに感謝。
 
とりあえず製本してみるよ! 絶対上下2分冊になるけどね!

mixi記事感想とか何がりざマリか。何がリザまりでないか。

地獄の魔犬(49)感想文。
タイトルに取り立てて意味はない。後から眺めればそんなもんだ。
  

 
恐ろしく冗長に見える。そこで試しに

>「井関さーん、どうです、目が覚めましたー?」
>から
>「ほれ岸井、林檎剥いてくれ。妹さんはええと、バナナ? そこにバナナあるから。なの姉はメロンな。ジャンくんはお皿出して。テンカイ、お前下行って飲み物とコップ買ってきてくれ。それとマリー」

この部分(概ね全体の1/3)を削ったら非常にスッキリした印象になった。
なんでだろう?と思ったときに思い当たったのが、「ああ俺は天海と主人公とマリーしか見てないからだ」ということに思い至る。
だから、他のキャラクターが脈絡なく出てくるのが違和感ありまくりなんだな、と。
「魔犬」の楽しみ方としてはものすごい無駄にしている読み方なんだろうなぁと思うが、読み返して楽しいのかどうかはわからない。
とりあえずお疲れ様。そしてありがとう!

mixi記事感想とか★ジャンル「地獄ニート」

地獄の魔犬(47)感想文。
 

 
…なんだが。その。あの。なんだ。
ここまでお二人の空間に入られると感想文ですら入る余地がないというか。
濃度高いなぁと見てほほえましく見るしかないんですが。
 
あえて言うなら戻ってきたときの天海の反応が楽しみですなぁ。

mixi記事感想とか★「ツッコミ待ちなメイド」という時点でエロいのはメイドだと思う

地獄の魔犬(46) − 生方一寛感想文。
 

 
なんというか「ふわっ」と文章に入ってなんとなく得心が行った気分になる文章だった。なんとなく先が見えるんだけど確証が持てなくてドキドキするような。
 
──司会者に『ファイナルアンサー?』って聞かれたときの心境。
 
余談だがジンジャエルを見た後だと「ツッコミツッコミって君は本当に(ry」のくだりはちょっと冗長に見えた。
単体で見れば必要な文章なんだが。

mixi記事感想とか作らないも罪、創れないも罪

[TRPG]新造してもいいんじゃねーの!?[mixi.jp]の感想記事予定地。
・作るべきときに作る⇒イイ!
・作るべきときに作らない⇒イクナイ
・作るべきでないときに作る⇒イクナイ
・作るべきでないときに作らない⇒イイ!
ということは、「作るべきかどうか」を知ることと、その上でその結果に合わせて作る/作らないの選択を正しくすることの2点について考えればいいのか。はてさて。

続きを読む

mixi記事感想とか★イニシャルT

いわゆる「男女」改変。「ツン」「デレ」でもできる。

先生! ヤン が 若干 デレより多いです!
 
そうか だったら
 ヤン デレ ヤン ヤン デレ ヤン デレ
の順で起こせ!
 
 ヤン デレ ヤン デレ ヤン ヤン デレ
ですね!
違う! いいか! こうやって 起こすんだ!
ヤン デ ヤン ヤン デ ヤン デレ (ヒュー ヒュー)
ヤン デ ヤン ヤン デ ヤン デレ (ヒュー ヒュー)
ヤン デ ヤン ヤン デ ヤ ヤン デ ヤン デ
ヤ ヤン ヤ ヤン デ ヤン ヤン デレ
* * *

今日やろうとしたこと → 今日やったこと[mixi.jp]の感想メモ予定地。
ひっかかるのであって「つっかかる」とは別だと思いたい。
 
【次のページに審議材料を集めて審議中】

    ∧,,∧  ∧,,∧  ?とかできてないんじゃね?
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧ 
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` ) システムがDXであることは考慮したほうが…
| U (  ´・) (・`  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u ヤンデレについての一般的知識もおさらいしておこうぜ
    
u-u'. 
u-u'

 
ちなみにWikipediaは全面「独自研究の恐れアリ」ということでした。そりゃそうだ!w

続きを読む

mixi記事感想とか★後日談。終わりよければすべてよし

という氏のシナリオ集「ニューロDECK」のエンディングの定型句を思い出す[TRPGのスキル]いつも心にサプライズの感想文。
49.9:640:480:0:0:計画通り…KUKUKU:center:0:0:写真は本文と直接の関係はありません。:

まず言い訳してるんで実際に正規表現で「([^)]+)」を空文字列に置換してみたら、ファイルサイズが2KB弱も減って笑った。全角文字にして1000字かよ!
 
※(笑)なども置換対象になるので、厳密に注釈文を除いたわけではない。あくまで目安。
 
 * * * 
 
さて、個人的な感想に入ります。
 前半「サプライズ」の効能云々の話。
サプライズを消極的に評価し、ハプニングとして積極的に排除した遊び方がセッショントレーラー+ハンドアウト(+クエスト)を導入したいわゆるFEARの遊び方 
 ここで氏の言ういわゆる「FEAR的遊び方」のとらえ方に疑問。セッショントレーラーとハンドアウトは無用な事故(サプライズではなくハプニング・トラブルに類するもの)を防ぐためのもので、サプライズを抑制するものではない気がするんですが。
最近のFEARのシナリオだと、可能な限りプロトタイプでのレポート(こういう展開になった、こういう提案がPLからあったetc.)をつけているのでそういう印象をもたれたのだろうか。あれもたぶん不慣れなGMのフリーズ防止の役目(サプライズをハプニングにしない)として作用する面が大きいと思ってるのだが、違うのかな。
 サプライズは個々人の持つ「既定」に対して「例外」であればいいのだから、無理のない範囲でセッショントレーラーやハンドアウトに対してそれと異なるアプローチを投げることがサプライズになるのではないでしょうか。
「これをカーチャでやりたい」とか「これをオーレリアでやりたい」とか言うとき、往々にして「おいおい」と言われるのはハンドアウト型に対してのサプライズだと思うのですがねぇ。
 
 * * *
 
 中盤「いつも心にサプライズ」 の話。
 
だったらそのサプライズを積極的に評価しましょうってこと
 
 とおっしゃってて、てっきり標語の目的はサプライズを「積極的に評価すること」であって、そのことに評価することについて説明がくるのかなと思いきや、直後に
 
予想どおりの展開ってのは
 
 と続いてて意味不明だなぁとか思ってみたり。その後の文章を見ると、「いつも心にサプライズ」の意味としては、『サプライズは(起こす/起きるの別こそあれ)発生するものならば、他人に積極的に評価してもらえるサプライズを起こそうと思ってるんだよ』ということでいいのかな。かな。
 放置プレイ的な「RL/GMが主体的な誘導をせず、PLが自主的に動くことが求められる」場合には不向きだなぁとか思いつつ、そういうときの氏は(今回述べていることは脇において)概ね奔放に動いて満足されるようなのでそれはそれで結果としていいのかとか思ってみたり。
 
 * * *
 
 後半「計画通り」の話。
 
 これはもうRL/GMごとに違う話だなぁとか思った。Rizaは概ね申し訳ないほどにPLの皆様の自主行動だけを頼りにセッションを構築しているタイプで、いわば「計画」がない。「計画通り」と思うこともなければ「そんなこともあろうかと」ということもなく、妥当か意外かの二択で意外が多いような。セッションの流れとして「計画」に近い流れもあるけど、よもや「依頼を受けてくれたな、計画通りウッシッシ」ということを指してはいまい。
 逆…たとえばセッションのサプライズを起こしたときもいろいろ微妙なんよね。無茶な提案をして引っ込めようと思うが「そのままでもいける!」といわれると、展開を作る力を持ってる人がうらやましくて自分の想像力不足に嘆く俺。
 サプライズの提案につく『行動の結果への責任』って、やはり自分が負うべき(そこまで含めてサプライズを提案すべき)だと思うのだけど、それができてないことに劣等感が植わるんですよなぁ…これは俺のネガティブ分が悪いので、決してRL/GM諸氏の責任ではないんですが。
 
 * * *
 結論。
 
 『ポジティブなセッションにするための言動を心がけましょうよ』ってことで。
 日本人としては謙遜の美徳もあるんだけど、自分は矮小化しすぎだなぁと思う。思うが改まらない。現場にいれば隣の芝は青く見える。
 
 氏も昔はセッション記録をいちいち書かれて「PLの○○様の〜〜〜がカッコイイ」と書かれてたりして結構心の励みになったりされたし、その人なりそのキャラを評価(それもポジティブな方向に)させる手段として結構有用なのに、最近されてないように見えるのは残念だなぁと思ったり。
 たまにぷれたつのごく古い日記を掘り返したりして面白がってみたりする身としては時間を割いてでも文字に残す効果はでかいよなぁと思うところ。
 
※大まかなところで「セッションは文字に残したい」という銅おりは師のご意見に共感してるだけという説はある。