★後日談。終わりよければすべてよし

という氏のシナリオ集「ニューロDECK」のエンディングの定型句を思い出す[TRPGのスキル]いつも心にサプライズの感想文。
49.9:640:480:0:0:計画通り…KUKUKU:center:0:0:写真は本文と直接の関係はありません。:

まず言い訳してるんで実際に正規表現で「([^)]+)」を空文字列に置換してみたら、ファイルサイズが2KB弱も減って笑った。全角文字にして1000字かよ!
 
※(笑)なども置換対象になるので、厳密に注釈文を除いたわけではない。あくまで目安。
 
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さて、個人的な感想に入ります。
 前半「サプライズ」の効能云々の話。
サプライズを消極的に評価し、ハプニングとして積極的に排除した遊び方がセッショントレーラー+ハンドアウト(+クエスト)を導入したいわゆるFEARの遊び方 
 ここで氏の言ういわゆる「FEAR的遊び方」のとらえ方に疑問。セッショントレーラーとハンドアウトは無用な事故(サプライズではなくハプニング・トラブルに類するもの)を防ぐためのもので、サプライズを抑制するものではない気がするんですが。
最近のFEARのシナリオだと、可能な限りプロトタイプでのレポート(こういう展開になった、こういう提案がPLからあったetc.)をつけているのでそういう印象をもたれたのだろうか。あれもたぶん不慣れなGMのフリーズ防止の役目(サプライズをハプニングにしない)として作用する面が大きいと思ってるのだが、違うのかな。
 サプライズは個々人の持つ「既定」に対して「例外」であればいいのだから、無理のない範囲でセッショントレーラーやハンドアウトに対してそれと異なるアプローチを投げることがサプライズになるのではないでしょうか。
「これをカーチャでやりたい」とか「これをオーレリアでやりたい」とか言うとき、往々にして「おいおい」と言われるのはハンドアウト型に対してのサプライズだと思うのですがねぇ。
 
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 中盤「いつも心にサプライズ」 の話。
 
だったらそのサプライズを積極的に評価しましょうってこと
 
 とおっしゃってて、てっきり標語の目的はサプライズを「積極的に評価すること」であって、そのことに評価することについて説明がくるのかなと思いきや、直後に
 
予想どおりの展開ってのは
 
 と続いてて意味不明だなぁとか思ってみたり。その後の文章を見ると、「いつも心にサプライズ」の意味としては、『サプライズは(起こす/起きるの別こそあれ)発生するものならば、他人に積極的に評価してもらえるサプライズを起こそうと思ってるんだよ』ということでいいのかな。かな。
 放置プレイ的な「RL/GMが主体的な誘導をせず、PLが自主的に動くことが求められる」場合には不向きだなぁとか思いつつ、そういうときの氏は(今回述べていることは脇において)概ね奔放に動いて満足されるようなのでそれはそれで結果としていいのかとか思ってみたり。
 
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 後半「計画通り」の話。
 
 これはもうRL/GMごとに違う話だなぁとか思った。Rizaは概ね申し訳ないほどにPLの皆様の自主行動だけを頼りにセッションを構築しているタイプで、いわば「計画」がない。「計画通り」と思うこともなければ「そんなこともあろうかと」ということもなく、妥当か意外かの二択で意外が多いような。セッションの流れとして「計画」に近い流れもあるけど、よもや「依頼を受けてくれたな、計画通りウッシッシ」ということを指してはいまい。
 逆…たとえばセッションのサプライズを起こしたときもいろいろ微妙なんよね。無茶な提案をして引っ込めようと思うが「そのままでもいける!」といわれると、展開を作る力を持ってる人がうらやましくて自分の想像力不足に嘆く俺。
 サプライズの提案につく『行動の結果への責任』って、やはり自分が負うべき(そこまで含めてサプライズを提案すべき)だと思うのだけど、それができてないことに劣等感が植わるんですよなぁ…これは俺のネガティブ分が悪いので、決してRL/GM諸氏の責任ではないんですが。
 
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 結論。
 
 『ポジティブなセッションにするための言動を心がけましょうよ』ってことで。
 日本人としては謙遜の美徳もあるんだけど、自分は矮小化しすぎだなぁと思う。思うが改まらない。現場にいれば隣の芝は青く見える。
 
 氏も昔はセッション記録をいちいち書かれて「PLの○○様の〜〜〜がカッコイイ」と書かれてたりして結構心の励みになったりされたし、その人なりそのキャラを評価(それもポジティブな方向に)させる手段として結構有用なのに、最近されてないように見えるのは残念だなぁと思ったり。
 たまにぷれたつのごく古い日記を掘り返したりして面白がってみたりする身としては時間を割いてでも文字に残す効果はでかいよなぁと思うところ。
 
※大まかなところで「セッションは文字に残したい」という銅おりは師のご意見に共感してるだけという説はある。